人形芝居えびす座・座長 武地秀実さん

人形芝居のふるさとから世界へ福を

西宮には、「えびすかき」、「えびすまわし」と呼ばれる傀儡子(人形遣い)がいました。室町時代を隆盛にその数40軒ほどあったと言われ、人形を納めた箱を首から掛けて諸国を回り、えびす舞を演じる彼らの活躍により、えびす信仰が全国に広まりました。江戸期にはえびすかきはたびたび京都の宮廷で天覧を受けることもありました。
江戸末期になると、えびすかきは西宮から姿を徐々に消していくのですが、淡路に渡った人形遣いが地域に広め、やがて人形浄瑠璃、文楽へと発展し成長していきました。

西宮で150年以上も途絶えていた「えびすかき」を復興させ、ふるさとを感じ未来へつなごうとしているのが人形芝居えびす座・座長の武地秀実さんです。

 

伝統文化を地域づくりの核に


  武地さんは、情報紙の編集長として、西宮に根を下ろしてきました。

阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けた西宮中央商店街に起業して編集室を構えたのは、2001年。
復興の気運の高まった西宮中央商店街の街づくりを手伝うようになります。

武地「この町は西宮のへそ。どんな町なのだろう? 何があるのだろう?と調べていくと、えべっさんや酒造りはもとより、今は消えてしまったのですが、過去には歴史を動かした『えびすかき』が居たことが分かりました」

「貴重な文化遺産、えびすかきを再興させよう!」という心意気をもった商店街の有志が集まり2006年に人形芝居えびす座を結成しました。

さらに、2008年には、震災復興資金の援助を受けて、念願の人形芝居の常設小屋「戎座人形芝居館」を開館します。
芝居館の物件は所有者に協力を受け、開館にあたっては、マイはさみ持参で100人のテープカットを行ったように、まちの人に参加してもらうことを最優先としてきました。

戎座人形芝居館では展示や人形芝居、伝統芸能など様々企画し、全国的にも注目され賑わいましたが、復興資金事業として5年間実施した後、諸事情で惜しまれながら閉館しました。現在は西宮神社の好意により社務所に拠点を移して狂言や生花、人形浄瑠璃などを稽古するほか、十日戎やおこしや祭、渡御祭、百太夫祭など神社の大きな祭りで上演するほか、毎月10日の旬祭の後に境内でえびす舞を披露するなど地域と一体となって活動しています。

受け継がれる伝統

校区内にある浜脇中学校では、歴代の生徒会がえびす舞を演じるようになりました。3人遣いの人形では、語りや太鼓を含め9人のスタッフが必要になりますが、ちょうど生徒会委員で一座が組めます。生徒会委員になると自動的にえびす舞をすることになり、学校側も力を入れて脈々と受け継がれています。

また、人形浄瑠璃街道推進事業の一環として、毎年6月の第1土曜日に南あわじの南淡中学校郷土芸能部の生徒を招いて受け継がれる人形浄瑠璃を見せてもらい、浜脇中学校のえびす舞との交流を「浜脇のふるさとづくり」として続けています。地域住民の協力や参加を得て、令和元年には11回を迎えます。郷土芸能を若い世代が受け継ぎ、守り育てている姿は頼もしいものです。

武地「自分たちの住んでいる街がどんなところか?と聞かれたときに、“甲子園のある町”“福男の町”もいいけれど、“人形浄瑠璃の源流の人形回しえびすかきの町”と胸を張って言えることが誇りになると思います」

さらに、一昨年からは獅子舞も復活させました。
たまたま使われない倉庫を掃除していたら、奥の方にホコリにまみれた獅子頭が見つかったのです。後継者不足で50年以上途絶えていたことがわかりました。

かつてその獅子で舞った人を訪ね、音源が残っていることもわかり、県立西宮高校邦楽部の協力により、50年ぶりに獅子舞を演じることができました。武地さんは、市民の手でこれを継承してこそ繋がっていくものとして「若戎獅子舞組」を発足させ、メンバーを募り稽古を始めました。

こうして、門前町としてのこの地区の文化が再び開花してきています。

まちづくりは地域を知ることから

2018年、関西学院高等部とインドネシア共和国バリ州のハラパン高校とがスカイプ授業を実施しました。インターネットを通じて直接会話やチャットのできる仕組みを利用した交流型の国際授業では、現状を把握し地域の問題点を見つけ打開策を考えることにより、未来を担う若者たちの力を養うことを図っています。

「相手に伝えるためには、まず自分を自分の街を知ること」と、武地さんがアドバイスしました。

互いに自分たちの文化や教育を伝え合ううちに、実際の交流も始まり、ハラパン高校から生徒が来日して「えびすかき」を体験し、西宮神社の「おこしや祭り」にも参加。関学の生徒たちも一緒に地域の伝統芸能に触れることができました。

人形芝居えびす座では、日本に来ることができない生徒たちにもより多く触れてもらいたいとバリまで出向いて「えびすかき」を披露。早くも授業の実績を積んでいます。

〈特集 スカイプでつなぐ高等学校の国際授業から 西宮の伝統芸能「えびすかき」をバリ島の高校生に披露〉
(ともも176号http://tomomo.co.jp/feature1p-176/

高い海外での評価

日本では継承に苦心している「えびすかき」ですが、海外では「文楽の源流」と言うだけで理解してもらえて、賞賛を受けています。

フランスで開かれている国際人形劇フェスティバルを見に行ったのは2011年。「ぜひ行っておくべき」と勧められて訪ねてみると、町中が人形劇などメルヘンの世界となっていて感動。観客として訪ねたものの、「チャンスがあれば」と荷物に忍ばせていたえびす人形と装束を取り出して演じると大喜びされました。

以来、2年に1度の開催に合わせて渡仏して、えびす舞を上演。まさに「現代の傀儡子、海を渡る」といったところですね。

武地「個人旅行だと観光だけで終わってしまいますが、何かをするために動けば、それに誰かが賛同して何かが動くようになります。縁が広がります。えびすかきに出会えたのは自分のライフワークとしてありがたいですね」

 

子どものころの夢が実現

子どもの頃は、創作ダンサー(舞踊家)で、特派員になりたかったという武地さん。

武地「自分が知らない世界中の人々の暮らしや文化芸術を伝えることをしたかったのです。中学校からダンスで表現する世界に入り、結婚後は関西にきて、縁あって情報を伝えることを生業とするようになりました。

最終的に、自分がなりたかったことが実現できているのです。子供のころから描いていることは、知らず知らずにそこに向かっていくものだなと思います。『まちづくりしているってすごいですね』と言われますが、自分がやりたいことを目の前の現実から取捨選択してきた結果なのです。私はワガママに暮らしています。それを皆さんのお蔭でさせてもらっていて本当に幸せだと思います」

 

(2019/03/28・取材)