歌でつなぐ

第9回

エヴァンゲリストに開眼

留学期間の途中で、一時帰国し、バッハのクリスマス・オラトリオでエヴァンゲリストを歌ったところ、日本テレマン協会の延原先生に「ここまで変わるとは!」と驚かれました。エヴァンゲリストとは、受難曲の中で、福音史家とも呼ばれる語り部のようなパートで、楽譜はあるのですが、語りかけるような口調で歌わねばならず、僕は、オランダでのレッスンで、一流のエヴァンゲリストを会得することができたのです。以来、僕の十八番となり、その後は、毎年受難週にエヴァンゲリストとしてオランダに招かれています。

とても繊細なマックス・ファン・エグモント先生のレッスン室には、いつも各国からのレッスン生が集っていて、その中には、今でも交流のある方も少なくありません。色々な意味で、たくさんのものを得たオランダです。

オランダでは、2歳になったばかりの娘と妻の家族3人で、7ケ月間、アムステルダムに住んでいました。レッスン以外の時間は、歌の練習をしたり、図書館へ行ったりと、ゆったりとした時間が流れていました。

シューベルトと共に

日本へ帰国してから、何をすべきか? オランダでの研修中、考える時間がたくさんありました。ゆっくりと自分自身と向き合い、バロックの道へ進むと決めた自分が、更に追求していくべき「シューベルト」という道が見えてきました。

高校3年生の時に兄が買ってくれたレコード。シューベルトは、ずっと僕の心に寄り添っていました。

シューベルト歌曲連続演奏会

帰国後は、シューベルト作曲の歌を、「歌曲連続演奏会として全て歌ってみよう!」と、挑みました。シューベルトは、14歳から31歳までの間に、600曲も作曲しています。(ちなみに、600曲中、作詞作曲は1曲だけです)

単純計算で、1曲5分としても、600曲×5分=3千分です。壮大なプランでしょう? 未だかつて誰も試みたことのない、シューベルト歌曲連続演奏会。何回のリサイタルで歌い切れるのか分からないので、連続演奏会と題してスタートすることになりました。

シューベルトの曲を作成年代順に並べた、ドイッチュ番号順に歌っていくことに決めました。

次回に続く