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  「心の唄」を歌い続けている桑名晴子さんは西宮市在住。「昭和の香りがする」と、桑名さんおすすめの喫茶店で、音楽から復興支援まで、話の花が咲きました。

 父も母も音楽が好きでしたし、11歳の時に、親類のお兄さんの影響を受けて、見よう見まねでギターを弾いて歌うようになりました。プロとして活動しだしたのは16歳ですが、14歳で作詞作曲した曲「あこがれのSun Down」は、20歳でレコードデビューした時のアルバムに収めています。ちなみにそのアルバムの中の「さりげなく過ぎゆく時に」は、兄の桑名正博が作曲してくれて、私が詞を作りました。

 20歳の頃から30年間、関東に住んでいた桑名さんが西宮に移ったのは、健康のために西宮に住んでいた実家のお母様のお世話のため。

 西宮は、ステキな場所やお店がたくさんあって大好きです。年間百ヵ所くらい、全国各地でライブをやりますが、それぞれの地域性があっておもしろいですよ。例えば、博多でやると九州のあちこちから「ハルちゃんが来る」と、車を飛ばしてきてくれるんです。また、大阪でのライブには神戸の方々は来にくいようですが、神戸でのライブ等は大阪の人は来て下さいます。西宮の方々は、随分と前もってお知らせしておかないと来て頂きにくい(笑) 

 ピース・フレンドシップについて

 7年前に、13人の仲間たちと、何か社会に役立つことをアートを通じてしていこうと、ホームページを立ち上げることからスタートしたのが、ピース・フレンドシップです。NPOでも社団でもない、純粋に友達の輪だけでできたつながりですが、郵便局で口座を持つことができたんですよ。任意団体での口座開設はハードルが高いので、この口座を持てたことが、私の弾みになりました。音楽活動やグッズの販売で得た収益の中から口座に入れ、賛同してくださる方の寄金と併せて、子どもたちの育成や、災害復興の支援のために送り続けています。送り先の選定は、必ず自分で足を運んで確認してから行います。
 思い込めて寄付されたお金がどのように活用されるのかわかるような繋がりの中で募金し続けてます。

 東北復興支援については復興ボランテイアの支援をしている晴子さん

 阪神淡路大震災の時に自分も経験しましたが、ボランテイアは、持ち出しが多くて、どんどん動きにくくなります。行政や公的機関の復興事業が一定の期間を過ぎて引き上げても、有志は無償で頑張り続けるんです。むしろ、そこからがボランティアたちの力が発揮される時期です。その人たちの交通費や滞在費を支援したいんです。不慣れな私たちが行っても足手まといになるだけですしね。もちろん寄付のみでなく「福島のライブハウスも再建できました。唄いに来て!」と声がかかって歌いに行かせてもらう時は、うれしいですね。

「すごい人!」には、相手を気後れさせるタイプと、相手を元気にするタイプがありますが、桑名さんは後者。パワーの種をもらった気分になります。

 それは、私たちミュージシャンは、ボーダレスだからです。音楽には境界がないですからね。純粋に音楽を追求していると、アイデアも浮かぶし、自然に人も繋がっていきます。

取材日はあいにくの雨でしたが、「晴れアワー」な時間を過ごすことができました。

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