title

   タイトル画像
 地元に根差した工務店・(株)茂木工務店。同社の創業者・茂木清さんの奥様として社業を支え、地域社会の奉仕活動にも力を注いでおられる茂木久子さんに、今日までのお話を伺いました。

 創業者の茂木清は群馬県出身で、幼いころに両親と死別し、親類を転々とした後、お姉さんと一緒に関西にやってきて、大工になった人です。年頃になって、「将来独立した時に、苦労をすることを厭わない女性との結婚を」と、私が紹介されたのです。私は、尼崎市の酒屋の娘でしたが、5歳で母親が亡くなり、父の再婚相手との間でずいぶんつらい思いをしていましたので、茂木の希望にぴったりだったようです。
 気が短くて、すぐに手を上げる人でしたが、「きっとお母さんに甘えることができなかったからに違いない。私がこの人のお母さんになる」と決めて、ずっと私は身の回りの世話をし、靴下まで履かせました。最後には「嫁は久子しかいない。誰も務まらない」と言ってくれました(笑)
 結婚に当って、先祖を大切にして仏壇の花を枯らさないことと姉を大切にすることを守ってくれと言われました。これは今もずっと守り続けています。また知人から結婚祝いをもらうなとも言われました。「商売をしていれば、良い時もあれば悪いときもある。悪い時には、持っているものを売り払わないといけないこともあって、人様からいただいたものは売るわけにいかない」。茂木は、そんな真っ正直な人でした。その人柄が信用されて仕事が増え、一九八五年(昭和60年)に、西宮市役所そばの茂松寺を大改修する時には、和尚様のご指名で弊社に任せていただきました。

お子さんの育て方も茂木流ですね。

 息子は、高校を卒業するころには「家業を継ぐ」と決めていました。それを知った茂木は「夜学に行け」と命じました。「図面は引けても実務のできる一級建築士がいない」と。5年の仕事を3年で覚えるというような厳しい父親ですが、息子は黙って従い、叱り飛ばされながら現場で仕事を身につけました。やっと大学を卒業しましたら、「他人の飯を食ってこい」と家を追い出してしまったのです。あまりにも父親が厳しかったので、息子は喜んで家を出ました。こんな時、一般の母親はこっそり息子に資金を援助したりするのでしょうが、私は「出さない」と決めたら出しませんので、就職した息子は、友達から資金調達して自活を始めました。全てにわたってうちはこの調子です。働かずに手に入れたお金で人生を壊してしまった人を見てきましたので。
 やがて息子が家に戻って来てくれてからは、「留守にしてやるのも勉強のうち」と、夫と私はよく旅行するようになりました。ほんとうに幸せな夫婦生活でした。今年は夫の十七回忌を迎え、今は息子と嫁がしっかりと会社を守ってくれています。

タイの山岳民族へ防寒具を贈られているとか?

 西宮ホワイトライオンズクラブで社会奉仕に務めてきました。兵庫さい帯血バンク支援活動や東北支援として桜の苗木を贈る活動、タイ北部山岳民族へ防寒具を贈る活動をしています。タイ北部は、簡素な家屋で暖房設備もなくて凍死者が出るようなところですので、毎年冬になる前にダンボール箱何箱も用意して送っています。古着でも、きちんと洗濯してあれば大丈夫ですので、ぜひご協力をお願いいたします。


■西宮市甲子園高潮町7ー30  
TEL.0798ー46ー7474


バックナンバー