丘の上から眺める西宮市街。ほんの少し登っただけなのに、この見晴らしの良さ!
越水城には天守閣があったのではないかとの説もあります。もし現存していたらどんな眺めだったのか、わくわくしますね。
周辺では、辻ごとにお地蔵さんが祀られているのをみかけます。
「越水(小清水)」の地名の由来ともいえる井戸は東所、中所、西所の3カ所が残っています。中所は宅地の開発により、場所を示す祠があるのみですが、東所と西所は今も水がこんこんと湧き、住民の皆さんによって大切に保存されています。19年前の阪神・淡路大震災のときには、被害を受け水道が使えなくなった近隣の人びとの生活を助けました。
酒造りに適した海側の宮水とは成分が異なり、このあたりの湧水は茶人に好まれたのだとか。きっと西国街道を行く旅人の乾きをいやしたことでしょう。
写真は左上が西所(にしんじょ)、右上が東所(ひがしんじょ)、下が中所(なかんじょ)。
東所の金魚(左)と井戸からあふれる湧水(右)
大社小学校の南東にある「越水城址」の石碑と解説文。
越水城は、現在の城山・桜谷・満池谷・清水の4つの町にまたがっていたと考えられています。
丘に登る細い道(広い道ももちろんありますよ)。
住宅街の中に突然現れる山道です。
登って行くと、戦国時代にタイムスリップ!?(できませんでした…)
〜越水城の歴史メモ〜
室町時代、足利尊氏が弟直義と戦った際に陣を敷いた土地が小清水。ここなら、西国から京都につながる陸路・海路や、西宮神社を中心に大きくなっていた町も押さえられます。この軍事上の要衝に1516年に城を築いたのが瓦林正頼でした。
その後、越水城では合戦が幾度も行われ、城主がめまぐるしく入れ替わります。
のちに近畿を平定した織田信長の命令で廃城となり、越水城は築城からわずか70年ほどでその役割を終えました。
参考文献:「町名の話−西宮と歴史と文化−」山下忠男著
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