第5回
ホルンの神様
普通の大学院生活に戻った途端、ドイツとの縁を感じるイベントが舞い込みました。
当時は、今のようにグローバルに活躍する日本人演奏家は少なく、20代前半の僕にとって、海外は遠い世界だと思っていたのですが、日本テレマン協会の延原先生から、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団のホルン奏者であるペーター・ダム氏のホルンとの共演を勧められました。
厚生年金会館で、テノールの僕と弦楽オーケストラ、そしてホルンの神様と言われるダム氏で、ブリテン作曲「セレナーデ」を演奏し、夢のような共演を果たしました。
卒業後の進路
大学院卒業後は、大学に残って大阪音楽大学の助手になり、翌年から同大学の非常勤講師になりました。
助手や非常勤講師とはいえ、他に仕事を持たなければ暮らしていけなかったので、数えてみると1週間に10カ所ぐらい、文字通り駆けずり回って仕事をこなしていましたね。
仕事に追われて
高校や看護学校へ、西へ東へと音楽の指導に行きました。看護学校では芸術の選択科目で音楽や美術もあり、同時に4校を掛け持ちで教えていた時期もありました。
ある病院の看護学校では、屈強な男子学生が多かったので、オカリナを選んで指導していたのですが、学校なので試験をしなければなりません。ふだんは強面の彼等が、緊張でブルブル震えながら演奏していたのを思い出します。
グリークラブのボイストレーナーもやりましたが、分かりやすく教えたつもりが、ふざけていると思われてクビになったり。実は、その教え方は、大恩師の田原先生から教えてもらった「最も自然に声が出せる」発声方法なんですけどね。
当時は、本当に仕事に追い立てられるような感じで、「僕がやりたいことは、こういう仕事なのか?」と、自分の立場に疑問を感じながらも、立ち止まれずに走り続けていましたね。
次回に続く