人、街、酒

第1回

ギター一本抱えて街から街へ。音楽で人と人をつなぐ桑名晴子さん。出会う人、自然、モノについて語ります。


 「自分自身の生まれた意味を自分で全うしたい」と話し始めた晴子さん。お兄さんの桑名正博さんが亡くなって、もうすぐ2年になろうとしていますが、この間、公私ともに晴子さんの肩にかかることが多く、自分自身に還る時がほとんどなかったとか。
 「あちこちでライブやっていろんな人と繋がっていると、やっぱり自分にはこれしかないと思える。自分が発信していくことが大切なんやと思います」

隠れファンの多さ

 晴子さんのファンは老若男女、幅広い層にまたがります。なかでも「ナイスミドル」の世代の息の長いファンが多いことが特徴。ただ、この世代の方たち、なぜか「こっそり応援してます」という声が多いのです。
 「そりゃそうですわ。私がメジャーデビューしたのは1976年。やがてYMOとかの音楽が流行する少し前の頃です。日本でロックやってると言ったら、不良の音楽と思われてた時代に、比類稀な女性ミュージシャンと言われ、アメリカで録音したファーストアルバムは、オリコン26位を記録するくらい売れたんです。みんなこっそり買ってくれはったんでしょうね。その後、レコードからCDに変わったので、LPのラスト期です。LPのジャケットがアートだった頃でもあるので、今も大切に持ってくれてる人がたくさんあるんです。でも、最近は若い層のミュージシャンたちが、私の曲をカバーしたり、新しくアレンジしして演奏してくれることも多いんです。中にはオークションで何千円も出して昔のLPを手に入れたというDJやミュージシャンがあって、ありがたいやら驚くやら(笑)」

生き続ける音楽

 商業音楽から離れて、自分自身の音楽を求めるようになった時、晴子さんの曲作りの方向は、「20年、30年経っても唄える曲」になったとか。
 「ライブで、よく昔のヒット曲をリクエストされて、みんなで大合唱になったりするんですが、それはそれで嬉しいけれど、売れることを目的に作っていて、何十年経っても唄えるつもりで作ったんではないんですね。でも今の私ならララバイ風にアレンジして、まとめ直してもいいかなと思い始めまして。近々そんなアルバムを録音したいと思っています」


つづく

●1年間の予定で、桑名晴子さんの連載をスタートしました。ライブ情報等も、併せてお届けしてまいります。


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