人、街、酒

第7回


辰馬本家酒造株式会社の第15代当主・辰馬章夫さん。間もなく18周年になる阪神淡路大震災を振り返ります。


酒蔵の壊滅


第二次世界大戦戦災にも生き残り、「双子蔵」と親しまれてきた酒蔵は、1894(明治27)年から百年以上、脈々と銘酒を生み続けてきた蔵でしたが、1995(平成7)年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災によって、壊滅的な被害を被りました。

幸いにも辰馬本家酒造では、1993(平成5)年に近代的な設備を整えた「六光蔵」が完成していたので、製造を継続できましたが、酒造会社はいずれも同様の被害を受けており、仕込み蔵を失ったところも多数。そこで生き残った蔵や製造設備を相互活用して需要に応えました。互いに競争相手ではありますが、同じ宮水から酒を造って来た者同士、いざとなれば盟友です。

「社員にも被災した者がたくさんいましたし、蔵を失ったことは痛恨の極みでしたが、助け合い補い合うことから、その後の設備の相互乗り入れや共同配送が生まれ、酒造業界が共存していこうという意識が高まりました」


宜春苑の保存


宜春苑は、1917(大正6)年に建造され、本社事務所として活用された建物で、現在は工場敷地内に移設されて多目的ホールとしてイベントや会合に利用されていますが、この建物は震災時に窓ガラスが一枚も割れませんでした。

「匠の技ですよね。随所に大工さんの遊び心も見られるし、この建物は絶対に残さないといけないと思っていました」

現在、西宮で繰り広げられている「西宮まちたび博」のプログラムとして、来る2月2日(土)、菰巻きの実演などのほか宜春苑ではきき当て大会や酒造りDVDの視聴をし、白鹿クラシックスでランチをいただく企画があります。

「今は酒蔵見学と言っても、杜氏や蔵人の仕事を知ることができるのは、白鹿記念酒造博物館だけになってしまいました。ハイテクの大きな機械やパイプの間を通って、『ここで造っています』と説明されても実感がわきませんもんね」

酒税制度の変革や、消費者の嗜好の変化、流通業界からの多様な意見や要望や致酔性飲料としてのあり方など、様々な要因によって、酒類業界は新たな道を進むことを強いられています。次回は、日本酒と人との関わりのお話をお届けします。


つづく

※2012/12/31発行のな〜る紙面本欄におきまして、 「来る2月2日(土)、この宜春苑で菰巻きの実演…」と記載しておりましたが、宜春苑では菰巻きは行われません。訂正してお詫び申し上げます。



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