第5回
辰馬本家酒造株式会社の第15代当主・辰馬章夫さん。一般企業での修業の後、家業継承に向けて歩みを進めます。
白鹿の大発展
辰馬さんが、お世話になったアサヒビールを離れ、辰馬本家酒造に入社した1968(昭和43)年は、同社が大きく発展した時期でもありました。
新卒者の採用を積極的に行い、従来の「大福帳式会計処理」から、会計の電算機処理に転換。
鉄筋コンクリート造り二階建ての本社東館が新築されたのも、この頃のことで、全国各地に営業所の設置、倉庫用地の購入が積極的に展開されています。
もともと、ファミリー企業として発展してきた会社ですが、先代当主・吉男氏は従業員役員を多く任命し、家族的な中にも実力を重んじる気風であったことがうかがえます。
時は高度成長の時代。所得倍増と酒税減税によって、消費者が高級酒を選ぶようになり、さらに会社の近代化と拡大路線によって、「白鹿」は押しも押されぬ全国ブランドとなりました。昭和40年代には「白鹿」の販売量は10年間で215パーセントという驚くべき伸びを見せています。
松秀(まつほ)幼稚園創立
阪急・夙川駅近くの辰馬家の庭園は四千坪あり、緑豊かな場所でした。教育事業に熱心であった先代が、甲陽学院の学園紛争体験から幼児教育の重要性を痛感され、この自然に恵まれた土地に幼稚園を開設したのです。
辰馬さんは「私は松秀幼稚園の畑の番人です」と笑いますが、輝く未来を持った園児たちの声が先祖伝来の土地に響く様子は、地域の教育・文化に貢献し続ける辰馬家の象徴的な光景とも言えるでしょう。
結 婚
辰馬本家酒造に入社した翌年の春、辰馬さんは高梨敦子さんと結婚しました。
在京時代には身の回りのお世話係を従え、「一度も自炊をしたことがない」という辰馬さんは、結婚後も「家のことは全て妻に任せています」。
昨秋、旭日中綬章を叙勲され、お祝いの席で夫人と壇上に立った辰馬さんは、「家を守り、家族と私の健康を考えて務めてきてくれた妻に一度もお礼を言ったことがないのです。この勲章は、私個人にではなく、酒類業界全体にいただいたものだと思っていますが、黙って支えてくれた妻のお陰でもあります。この場を借りてお礼を言いたいと思います」と、下がって立っておられた夫人に「ありがとう」と小さく頭を下げられました。夫人のはにかんだ笑顔が印象的でした。
辰馬ファンが増え続けているのは、このような温かいお人柄ゆえと感じる一コマでした。
つづく
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