人、街、酒

第2回


辰馬本家酒造株式会社の第15代当主・辰馬章夫さん。病弱だった子ども時代を経て、やがて少年となります。


甲南学園へ入学

辰馬さんは、幼稚園から高校まで甲南学園で学びます。

「辰馬家が運営する甲陽学院に入るだけの頭がなかったんです」と笑う辰馬さんですが、意図は別にあるようです。

2〜3学年違いの同窓生だけの顔ぶれを見ても、UCC上島珈琲社長・上島達司氏、武田薬品工業会長・武田國男氏、小林製薬会長・小林一雅氏、竹中工務店社長・竹中統一氏、菊正宗酒造社長・嘉納毅人氏等の名前が見られ、商家の子息は同学園で学ぶことが後々の人脈に繋がっています。

中学・高校時代は、水泳、テニスに親しみました。 「当時は美しかった香櫨園浜で泳いだんですよ。甲陽中学を脱衣場にして着替えて、そのまま芋畑の中を通って浜に行き、甲陽中学の先生に水泳を教わりました(笑)」

病弱だった章夫少年も次第に健康な青年に育ちます。

辰馬家の育英事業

甲陽学院は、まず甲陽中学が1920(大正9)年、辰馬さんの祖父に当る、辰馬吉左衛門氏によって創設されました。さらに1940(昭和15)年、皇紀2600年奉祝記念事業として、専門学校令による甲陽高等商業学校が新設されます。その後、高商は理工科系に転換という国の方針に従い、工業専門学校へ転じつつ、戦後廃校となります。

戦後の1947(昭和22)年4月、学制改革により、甲陽学院中学部を香櫨園に新設。翌年4月、甲子園にあった旧甲陽中学校は甲陽高等学校となり、ここに中高一貫教育の礎が生まれます。卒業生は創立以来、1万6千名余りに上り、各界で活躍する人が多く見られます。

十三代当主・吉左衛門翁が校友誌に述べている抱負と設立の趣旨には、「古人曰く、一年の計は穀を植うるにあり、百円の計は樹を植うるにあり、百年の計は人を植うるにありと…」と記されています。人を育て、国の繁栄を図るという理念は、辰馬家の事業全般に流れる精神とも言えます。

慶應義塾大学へ

のびのびと、中学・高校時代を過ごした辰馬さんは、慶應義塾大学法学部へ進みます。大学四年間は「ワグネル・ソサエティ男声合唱団」に所属し、青春を謳歌。ここでの学友は、後の全国的な人脈となっています。


調べれば調べるほど、辰馬家の地方財閥としての大きさ、豊かさがわかり、世が世なら、気軽にお話も伺えない立場だと思いながら、辰馬さんのフランクなお人柄に甘えて、お時間をいただき、お話は来月につづきます。


つづく



「人、街、酒」バックナンバー
最終回
第11回
第10回
第9回
第8回
第7回
第6回
第5回
第4回
第3回
第2回
第1回