第3回
辰馬本家酒造株式会社の第15代当主・辰馬章夫さん。親元から離れた大学生生活で大きく成長しました。
初めての下宿生活
高校生までは、親元で大切に育てられた辰馬さんですが、「井の中の蛙になってはいけない」と、関西から離れることを勧められました。目指したのは慶應義塾大学。受験のために、灘高校教諭を家庭教師に迎えたとか。
「甲南に通学し、甲陽の先生に水泳やスキーを習い、灘の先生に受験勉強を指導してもらい、3つの学校にお世話になりました」。
いかにも辰馬家の跡取りらしいエピソードです。
慶應大進学後は、養育担当が同行し、知人宅の離れで下宿生活です。
「食事や身の回りの世話は養育担当がしてくれました。私は、これまで自炊をしたことがないんですよ」
合唱団での日々
慶應大入学後すぐに「ワグネル・ソサエティ男声合唱団」に入部しました。
「ワグネル・ソサエティは、一九〇一年の創立で、日本最古の音楽学校以外の学生音楽団体として知られています。オーケストラ、男声合唱団、女声合唱団の3部門で構成され、男声合唱団では、合唱界の大御所、声楽家の木下保先生や同じく声楽家で専任指揮者の畑中良輔先生に厳しい指導を受けました。当時120人余りの団員中、100人位がステージに上がれるのですが、下級生の頃、私はいつも戦力外オーディションで落とされていました。
定期演奏会や早・慶・関(学)・同(志社)の交流演奏会が主な活動でしたが、春夏の休みになると地方公演に出かけました。鐘紡や日清紡の工場で働く人たちを慰労するために歌いに行ったのです。鈍行の汽車に揺られて訪ねて行った旅は、いい思い出です」と懐かしい目で振り返ります。
かつて日本の音楽界で大活躍をした男声コーラスの「ダークダックス」を輩出したワグネルの絆は固く、OB合唱団もあって卒業後も交流は絶えないものの、辰馬さん自身は忙しくてなかなか参加できないとか。
「折々には酒だけが出席しています(笑)」
しかし、歌を愛する心は変わりなく、人が集まる席などで、辰馬さんの歌声を聴くチャンスに恵まれることがあります。
大学卒業後は、アサヒビールに入社し、サラリーマン生活を経験します。次回は、その時期のお話をお届けします。
つづく
「人、街、酒」バックナンバー
■最終回
■第11回
■第10回
■第9回
■第8回
■第7回
■第6回
■第5回
■第4回
■第3回
■第2回
■第1回