
「子供ができて初めて、親が僕を心配していた気持ちが分かりました。小学生の頃から小遣い稼ぎのためにゴルフ場に行くようになり、お金がもうかるという理由で、プロゴルファーを目指しました。親は何も言いません。亡くなってしまった今では、気持ちを聞くことができませんが、好き勝手にやらせたくれたことに感謝しています」
杉原プロがゴルファーとして活躍し、経済的に余裕が出ても、ご両親が贅沢することはありませんでした。
「親父は僕の仕事には口を出しません。いつも『人に後ろ指を指されるようなことをしたらあかん』というのが口ぐせでした。親父や母親が一所懸命働いて僕を育ててくれたことが、僕にとって無言の教えになっています」
杉原プロには2人の息子がいます。長男・敏一さんがプロテストに合格したのが、90年10月。この年は、4月に1勝、9月にも1勝、そして、シニアツアーでも1勝をあげました。
「息子がゴルフの道に進んでくれるのは、うれしかったです。義理の親父が、クラブ職人でしたから、息子たちが2、3歳の頃から子供用クラブを作ってくれて、庭でよく遊んでいました。プロになってくれればいいなぁ、という思いはありましたが、口には出しませんでした」
そして、90年の最終戦・大京オープン。敏一さんのデビュー戦で、杉原プロは優勝しました。現時点でレギュラーツアー最後の優勝です。敏一さんは残念ながら予選落ちでした。
「プロになった息子の目前で優勝できたということは、親としての責任を果たせたという思いがあります。ゴルファーになったからには、結果を出して稼がなければならない。息子にとっては苦い試合だったと思いますが、いい経験になったのは確かです」
91年の関西オープンで、杉原プロと敏一さんは優勝争いをする機会が訪れました。
「勝負の世界。親も子も関係なく勝負することは大切です。わかっていますが、やはり親心には勝てません。息子に優勝をしてほしいという気持ちでした」
最終日。杉原プロは、4アンダーでホールアウト。敏一さん以外の上位の選手が崩れて、6アンダーで単独首位。杉原プロは2位まで順位をあげていました。先にホールアウトした杉原プロは「崩れずいってくれ」という思いでしたが、17番で、敏一さんはダブルボギーをたたき、杉原プロと並びました。このままいけば、親子でプレーオフという事態。
「プレーオフになれば、息子よりたくさんの経験を積んできた分、僕が勝つ確率が高い。複雑な思いでした」
最終18番ホール。
「自分の試合より緊張しました。バーディーパットを入れて、優勝を決めた瞬間、ゴルファーというより父親としてうれしかった。長男はプロとして歩んでます。次男はこれからどうするか…。心配ですが、息子の人生です。男としてしっかり自立して生きていってほしいです」
ゴルファーとして厳しい世界を歩んできた杉原プロ。自身の父親がそうであったように、じっと見守る父親・杉原輝雄さんの姿がありました。











