都市民俗学者 森栗茂一さん


 大阪教育大学のご出身で、教壇に立ち続けてこられた方が、今、まちづくりのスーパーバイザーになられているわけですが、どんなきっかけで?
 僕は、もともと長田の長屋の子だったんですよ。長田というところは、人のつながりが深いところでね、その町で悪さもしながら育ちました。大学を卒業後、高校の教師を勤めて、30歳で西神ニュータウンに家を建て、その年に結婚もして、やがて大学で教えるようになって、順風満帆な暮らしでした。
 阪神大震災が起きたのは、そんな時。生まれ育った長田の町は炎に包まれ、壊滅状態。住んでいる西神は、大きな被害もなく、その差に愕然としました。
 すぐに長田に行って、瓦礫撤去を手伝いました。「菅原商店街」では、僕と市場のおばちゃんたちとで撤去作業をしたんですが、ああいう時に男はあかんね。ショックでボーッとしてしてるだけの人が多かった。その点、女性のパワーは強い。泣いた後は次のことを考えて、撤去が済んだら、さっさと仮設店鋪で営業始めてました。
 一方、仮設住宅が出来て、住民が避難所から仮設に入居し始めると浮上したのが、独居老人の問題。地域のコミュニティの中で暮らしていた人が、郊外の仮設に切り離されて、周囲との関係が断たれてしまう。「これではあかん」と、仮設住宅でのコミュニティづくりに奔走しました。
 震災時の地域コミュニティとの接点が、僕のターニングポイントになりました。
いつの間にやらコミュニティ政策が専門になっちゃった

 神戸でコミュニティバスの開通にも尽力されたそうですね。
 東灘区の住吉台はニュータウンとして開発されたところですが、公共交通機関がなかったんですね。若い頃は車に乗れてあまり不便はないけれど、町が成熟して高齢化すると運転できなくなって、動きが取れなくなる。結果として、地域経済が落ち込みます。
 '04年にバス会社の協力を得て、2カ月間実験運行したら、高齢者が外出するようになって、町が活気づき始めました。「安心して暮らし続けるためにはバスが必要」と話し合いを重ね、翌年1月から、「住吉台くるくるバス」が運行を開始しました。
 1日667人乗れば採算が取れると言われているのを、住吉台では、住民間で「クルマに頼りすぎないでバスに乗ろう」という意識を高めて、1日の乗降客を千人にまで増やしています。住民が地域の問題を共有して、課題を一つ一つ解決してきた結果ですね。

 にしきた商店街相談役として、この町に対する想いは?
 西宮北口は、いいところですね。特に「にしきた商店街」のある甲風園のあたりは、人と人とのつながりに、どこか長田に似た雰囲気がありますね。親子2代、3代で商売を継承しているお店があるし、川そうじをみんなで一緒にしたり、地域のイベントを町の人と商店街とで盛り上げようとしたりね。
 これからの課題としては、アクタ西宮、芸術文化センター、阪急ガーデンズと、次々に周辺が整備されて、「にしきた」が裏町になりかねないことですね。そうなると犯罪も増える。ひったくりの犯人は、「不法駐輪の多い町で犯行に及ぶ」と言うそうです。不法駐輪は町への関心低下の証しですね。
 安心して暮らせる町づくりのために、そこで暮らし、そこで商売する人が「どういう町にしたいか」を語り合って、「持続可能な」方法を一緒に考え、一緒に形にすることが必要です。そんなお手伝いをしたいですね。



森栗茂一氏プロフィル

1954年 神戸市長田区生まれ 西宮北口在住
   大阪教育大学卒業後、高校教諭を経て
'90年 大阪外国語大学助教授(日本文化学)
'92〜'95年 国立歴民俗博物館民俗研究部 客員助教授
'95年1月 阪神大震災。瓦礫撤去から復興まちづくりに関わる。
'01年 神戸まちづくり研究所理事
'04年 東灘交通市民会議座長
'07年10月 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授
'08年 西宮市南北バス委員
  大阪市CSRマッチング中間法人選考委員会委員長
'09年 国土交通省地域交通活性化再生評価委員
にしきた商店街相談