西宮大橋を南へ。阪神高速湾岸線の高架をくぐると、右手に見える工場の上で微笑む「えべっさん」。阪神米穀株式会社のトレードマークです。商売の神様「えびす様」を関西では親しみをこめて「えべっさん」と呼びますが、社長の田中さんも、とてもフレンドリーな方です。

 商標は社長そっくりですね
 あれは、私の似顔絵です(笑)。私は、「えべっさん」の西宮神社の総代でもありますが、たいへん上手に書いてもらったんで、西宮神社さんが使って下さっていたこともありましたよ。
 うちは、もともと江戸時代末期から続く米屋でして、神社に奉納米として献上しており、今ではみなさんに「えべっさんのお米」として親しんでいただいています。阪神米穀とえべっさんとは、いろいろとご縁があるんですよ。


 米屋さんの後継者として成長されたのですか?
 7人兄弟の末っ子でして、今津幼稚園、今津小学校を出た後、関西学院高等部・大学と進みました。一時は、文士を目指した頃もあったんですよ。小説を書いたりしてね。ところが、その頃に大変な作家が現れました。石原慎太郎です。「太陽の季節」というその作品に、「日本文学はこんな方向に進んでいくのか」と衝撃を受けました。
 大学卒業後、他の会社に就職しましたが、やがて兄のいる阪神米穀で働き、兄の逝去後、社長になりました。


 日本人の食生活について思われることは?
 欧米化のおかげで、色々なものを食べられるようになったのはいいのですが、主食としての米の消費は、1962(昭和37)年には、日本人1人年間120キロだったのが、飽食の時代と変わった現在は、58キロに減少しています。
 これはね、食生活の偏りによる健康問題も懸念されますが、何より、農業の衰退という問題を引き起こします。私は、このままでは日本から里山がなくなってしまうという危惧を抱いています。生活が便利になって、冬にトマトが食べられたりと、四季のない時代になってきていますからね、里山が消えていくことで、日本人が本来持っている美しい心までも失っていくように思います。

 日本の伝統文化は農耕が礎になっていますものね。
 米は、食文化の元祖であります。農業というのは、一年単位で同じことを脈々と繰り返すんですね。米屋も同じです。安心・安全な米をお届けすることを繰り返し続けて、正月の挨拶のごとくに「相変わりませず…」というのが、一番大切なことです。
 時代は、まさに変革の時を迎えていますが、産業、サービス、文化・芸術、あらゆる観点から、もう一度日本人の原点に還って、振り返ってみるいい時期ではないかと思うのです。



田中 覚さんプロフィル

●昭和10年1月26日生まれ 西宮市在住
●関西学院大学商学部卒