1951(昭和26)年、西宮市と合併してからも、南北交通の不便さから、人口が1,000人を超えたことのない集落。「西宮のチベット」と呼ぶ人もある。昼夜の温度差を生かした野菜づくりが盛んであったが、後継者が少ない休耕地が増えた現在は、地域外の家庭菜園利用者が訪れる。近年、味や雰囲気のよいお店が増え、注目のエリアとなっている。