「2階にある教室なので、雨が降って上がって来てもらえないと困るから、〃てるてるぼーず〃を下げなきゃね、という会話から名前を決めました」と主宰の仙場春美さん。とってもチャーミングな笑顔で、服作りの楽しさを教えてくれます。

 洋裁の道に進んだきっかけは?
 私は子供の頃から裁縫が大好きだったの。青森県の冬はとても寒いし雪も降るから、町中から離れた所に住む人は、出かけるのも大変。冬になると町の手芸屋さんが1〜2日泊まりこみで不便な地域に材料を売りつつ手芸を教えに行くの。中学生の頃には人に教えることができるぐらい裁縫ができるようなっていたので、冬休みには先生として教えに行ってました。
 本当は高校へ行かないで洋裁がしたかったんです。でも、両親に高校だけはちゃんと出なさいと言われ、高校卒業後、上京。仕事をしてお金を貯めて、学校へ行くということで東京行きを許してもらい、お手伝いさんとして働きました。厳しいお宅でしたが、行儀作法を仕込んでもらい、役に立つことをたくさん教えていただきました。1年働いて、どうしても学校に通いたいから辞めたいと話すと、当時で退職金を10万円もいただけたんです。応援してくださったんですね。


 晴れて文化服装学院に入学したんですね
 裁縫も好きだし、教えることも好きなので、教職コースに進みました。卒業後はしばらく青森に帰りましたが、もう少し勉強をしたいなと思っていた時に、関西で仕事をしている文化服装学院の先輩が呼んでくれたんです。日本人の体型に合わせた型紙をおこして、生地を選び、縫い方を教えるホームソーイングのお店で働き始めました。当時は関西にしかなかったんです。そして、29年前に独立して、「てるてるぼーず」を開きました。転勤族の奥さんがけっこうお稽古にいらしていたので、再び転勤になると静岡や東京から通って来てくださる方もありましたね。いろいろな教え方がありますが、私はきちんと着られる洋服作りを教えていきたいと思ってやってきました。


 作品が仕上がる楽しさを生徒さんと先生で分かち合えますね
 今は毎日が楽しくて楽しくて。一番好きなことを仕事にできたんですもの。家にいるときも縫い物はしています。これでも若い頃は、「どうやって教えたら分り易いか、どう仕立てをしたらいいのか」と頭の中は常に洋裁のことでいっぱい。最近は、そういう悩みもなく、ともかく楽しくできるんです(笑)! 
 それから、洋裁ばかりでは身体も心配なので、週1回はジムに通ってトレーニングをして、毎日教室まで40分歩いています。健康で長生き、そしていつまでも洋裁を続けたいですからね。



仙場 春美さんプロフィル

●青森県五所川原市出身。
●高校卒業後、上京して文化服装学院卒業