「蘇州夜曲」の中国語訳がサントリー烏龍茶のCMに採用されたり、「千の風になって」の中国語版を完成させて話題の人となった李広宏さんは、夙川在住。

 日本へ憧れておられたとか?
 私は蘇州出身ですが、6歳の時に、文化大革命が始まり、中国では伝統的な文化が致命的に破壊されていました。ラジオ局が流す音楽はスローガンの曲ばかりでしたが、それしか触れる音楽はありませんでした。
 1972年に日中国交が回復し、日本の文化が入ってきました。私が中学生になった頃のある夏の夕方、ラジオから流れて来たのは「夏の思い出」という歌でした。歌詞は全く判らないけれど、なんて美しい歌なんだろうと感動しました。後日、その歌手は芹洋子さんだったということが判明するのですが、美しい声とメロディーで、私がそれまで日本に対して抱いていたイメージは大分変わりました。
 抑圧されてきた感性は解き放たれ、年齢的にも多感な時期だったせいもあるのでしょうが、「きっとステキな国に違いない、日本に行ってみたい」と願うようになったのです。
 
 中国では俳優だったとか?
 
 1976年に文化大革命が終わり、伝統文化が復活しました。16歳の時にスカウトされて、中国伝統劇滬劇俳優になりましたが、日本への憧れは消えませんでした。
 蘇州を訪ねて来た3人の日本人観光客とたまたま出会い、漢字でコミュニケーションしながら蘇州や上海を案内したところ、「ぜひ日本へ来なさい」と言ってくださったのです。そのうちの一人に身元引受人になっていただき、1987年12月13日に念願叶って来日したのです。


 憧れの日本はどうですか?
 来日当初は、東京で勉強していました。朝と夜に皿洗いをしながら日本語学校に通う毎日で、家賃と学校の授業料を払うのが精一杯の生活でした。支えになってくれたのは、やはり音楽でしたね。音楽を聞いて日本語の歌詞を中国語に訳していましたが、それが現在の源になっています。
 そんな時に、よく「がんばれよ」と声をかけてくれる人がいましたが、「がんばれ」という言葉は、中国人の私たちには「まだ努力が足りない」と非難されているように聞こえて、腹を立てたり悲しんだことがありました。文化や生活環境の違いによって、言葉の意味やイメージが変ります。日本人は中国茶というとすぐウーロン茶を思いますが、中国では皆が飲んでいるわけではなく、私も日本に来るまでウーロン茶を知りませんでした。ほとんどの人は、地元で採れたお茶を飲んでいます。新鮮で美味しくて安いからです。雲南の人は紅茶やプーアル茶、北方の人はジャスミン茶、広東や福建の人はウーロン茶を飲みます。私の生まれ故郷・蘇州あたりの人は緑茶を飲みます。ですから「茶色」と聞けば、グリーンを思い浮かべます。その後、アメリカに留学した時も同じような体験をしました。
 妻が西宮出身なので西宮に住むようになりましたが、西宮はいいところですね。今後は、日本と中国を結びながら、アジアの文化を世界に発信したいと思っています。


李広宏音楽事務所
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