編集長・正木京子のこの人に会いたい!


芸術文化センターを訪れても、まずお目にかかる機会がない人たち、それが舞台裏を支えるスタッフ陣です。
その中でも「この人がなければ、今の芸文センターはなかった」と言われる、舞台技術部長・小山内秀夫さんにお話をうかがいました。


設計段階から関与
ホール建造計画は震災前からありました。
バブル崩壊と震災により大幅に計画が縮小されて、最初の設計図を見直したのですが、2年がかりでした。
「新しいホールづくりをしたい。現場がわかる専門家がほしい」という兵庫県の依頼で着任したのが1998(平成10)年。劇作家の山崎正和さん(現・芸術文化センター芸術顧問)からも推薦をして頂きました。
当時、私は銀座セゾン劇場(現・ル テアトル銀座)にいましたが、着任2年前からセゾン劇場に在籍しながら芸文センターの設計図のチェックをしました。

ここは地下に宮水の水脈があるので、17m掘り下げるのが限度です。それでは奈落の高さが確保できません。そのために舞台の位置をかなり高くする必要がありました。
様々、制約の多い中での設計見直しでしたね。
当時は「ハコもの行政」と揶揄される風潮がありましたから、「創造発信型のいいものを造る」ということに全てを集約しました。
いよいよ着工できたのは、2002(平成14)年11月、平成10年時の建設コスト面から見直した設計となり、また構想から14年目です。
 

理想的なホールづくり
「ホールの色彩は舞台と観客が醸し出すもので、施設はそれを引き出すものなので、内装の色彩はモノトーンで」というのが私の考えです。
しかし安普請は困ります。 ホールは、おしゃれをして来たい場でもあって、公立ホールであってもある程度のグレードを保たないといけません。

ホールの柱は花型になっています。ハツリ(表面の削り)を入れて温かみを出したりしています。壁とか椅子とかの多数のものは工事中にはサンプルをいくつも造って選定しました。
壁のレンガは全て職人さんの手積みですし、壁の1ミリの段差や配列も職人さんの手によるものです
苦労したのは、八角形の小ホールでしたね。音の響きを優先し壁の弧に合わせて1本1本の壁の木材の角度を変えています。

建設後に手直しする手間とコストを考えると、建設中に問題をクリアさせる方がよいと考えて、大ホールと小ホールの10分の1サイズの模型を造り、音響実験をして活かしました。
また、設計者の日建設計が、神戸国際ホールや岸和田ホールで積み重ねたスキルを教材として活かすことができました。

壁はマホガニー、床はスポッテドガムで、無垢の木のぬくもりをそのまま伝えています。
ホールの上演中は閉塞感がありますので、休憩中はすべてのホールのホワイエから外が見えるような拘りをしてあります。共通ロビーには、ベンチに腰掛けて中庭を眺めたり、中庭からこぼれる光を受けて休んでおられる人の姿がありますね。


舞台裏も快適に
センターの事務所は、中庭から吹き上がった空間を囲んで、開放感のある造りになっています。
ホールの事務所というと、施設を有効に利用する観点から地下や建物の奥にあることが多いのですが、パリのオペラ・バスチーユでは、事務所棟に日本庭園があるんですよ。
事務環境を整えて働く人が心豊かに過ごせるようにという目的からですね。

楽団のリハーサル室を出ると、ゆったりとしたソファでくつろげるようになっています。さらに外に出れば六甲山を仰いで街を見渡せるバルコニーがあります。
アーティストはナーバスになるので、ほっとできる空間が必要なんです。
これは前述のように、観客にとっても、アーティストにとっても良い環境になりました。公演のない日を含めて、地域の方々がロビーに三々五々来られます。

開館5年、設計から数えると8年経過して、そろそろ交換時期になっている設備もありますが、建物は基本的には50年にわたって使える物という視点で建造しました。