地球人

第1回

1987年に念願がかない来日した李広宏さん。童謡や唱歌の入った一本のテープから日本語の美しさに触れ、日本語を学んでいきます。

童謡・唱歌との出会い

1987年12月13日に成田空港に降り立った李さん。その日の東京は雪が降っていました。

成田からリムジンバスに乗り、池袋のサンシャインにあるホテルに向かいました。先に日本へ来ていた蘇州の友人と待ち合わせていたからです。宿泊をしないので、ホテルの外で約1時間待ちました。寒さに震えつつ、言葉もわからない心細さと、これからの道の厳しさを感じました

俳優時代の貯金5,000円は、交通費などであっという間になくなってしまいました。でも、李さんは希望を捨てることはありません。日本に来た翌日からアルバイトを始めます。

仕事はレストランの皿洗いとビルの清掃です。日本語学校に通って勉強と仕事の両立は厳しかったです。けれど、“やろう、やればできるんだ。信念があれば生きていける”と自分を奮い立たせました

あるとき、アルバイト先のおばさんが、日本語の勉強に役立つからと童謡・唱歌のカセットテープを李さんにプレゼントしてくれました。

まだ、日本語はよくわからなかったけれど、美しい旋律にのせられた歌を聴いて、“なんて美しい言葉なんだろう”と思いました|


美しい日本語

ラジオから流れる“夏の思い出”を中学生のとき聴いて、日本へのあこがれを持った李さん。おばさんからもらったテープは宝物です。

早朝に仕事へ行って、昼間は学校で勉強。夜はまた仕事と忙しい生活です。心身ともにとてもつらかったです。国際電話の1,000円のカードでお母さんとしゃべりながら泣いこともありました。ただ、どんなに大変なときでもテープに入っている歌を一曲一曲訳すことは続けました。訳していくうちに“この歌はどういう時代に歌われ、どういう背景があるのだろう”とか“作者の心境やエピソード”が気になり、調べていきました。昔の歌は、ストーリーがあり、描写も美しい。きれいな日本語がたくさん使われています。日本には描ける四季の風景があります。歌っていて、情景が頭の中に浮かびます。“雪景色”の歌詞からは中国の水墨画の絵の中に自分が入っていくような気になりました

李さんは、私たち日本人以上に、敏感に日本の文化や日本語の持つ音の響きを感じ取っているように思います。

最近、日本人はどうして西洋文化の真似をするのだろう、と感じることが増えてきました。日本独自の美しい文化がたくさんあるのに残念に思います。戦後、外来語が増えて使われなくなってしまった漢字や日本語がどれだけあるでしょう。歌もそうです。洋服で例えれば、昔の歌は“オートクチュール”で後世まで残ります。今の歌は旋律や歌詞を含め、“量産品”。悪くはないが後世まで残らないものが多いのではないでしょうか。僕は異文化に触れたくて、26歳で中国を出て、日本で22年、アメリカで1年暮らしました。祖国の良い文化は大切に守りつつ、異文化の良いものを吸収してきました。僕はコンサートで美しい日本の童謡や唱歌を歌うことが大好きです。そして日本の歌の良さを伝えていきたいです。日本の方も自国の文化をぜひ見直していただきたと思います

続きを読む



中国・蘇州生まれ。

16歳から中国伝統劇滬劇の俳優として活躍。
中学生時代にラジオから流れた“夏の思い出”に感動し、日本行きを夢見て、26歳で来日。
歌手として日本と中国、そして世界の文化の架け橋になりたいと精力的に活動しています。
西宮在住。
 →オフィシャルサイト